村の道なら、すれ違いざまに肩が触れたとして、「あ、ごめん」と顔見知り同士が軽く会釈をすればすむ。それがネットでは、大事故になったりする。相手のバックグラウンドを知らないまま始まる言葉の応酬。そもそも前提としている常識が違えば、互いに「なんて非常識な!」ということになる。
イメージとしては、違うルールで高速道路を走っているようなもの。さらにSNSの場合、事故で燃えている車があるという情報が広がると、消火活動よりも、何故か油を注ぎに来る人が群がるという傾向がある。いわゆる炎上という現象だ。
便利でやっかいな時代を生きている
便利で、やっかいな時代を、私たちは生きている。顔の見える関係が広がった先に、さらに顔の見えない関係が追加された。
「顔」といえば、思い出すエピソードがある。電車の中で「面と向かって電話した」と聞こえてきたのだ。その時の驚きを拙著『言葉の虫めがね』に綴っているので、抜粋してみよう。1999年出版のエッセイ集なので、今から四半世紀前の言葉の観察記録である。
あるとき電車に乗っていたら、若い男の子が「オレ、そんときばかりは腹立って、面と向かって電話しちゃったよ」と言っていた。「ん?」と思って耳をダンボにする私。面と向かえないから、電話をするのではないか? この子は「面と向かう」を間違って使っているのだろうか……。が、よくよく聞いてみると(失礼!)そうではなかった。話は、こうである。
その男の子は、日常的にパソコン通信をしているようで、近ごろ通信相手とかなりひどいトラブルがあった。ちょっとしたことなら、電子メールで抗議するぐらいですませるのだが、あまりに頭にきたので、そのときばかりは電話をかけて文句を言った──と。つまり、電話をかけて肉声で直接話すというのは、彼にとっては立派な「面と向かう」行為なのである。
私たちの日常において、電話というのはかなり「濃い」コミュニケーションの部類になってきているようだ。かつて電話が登場したときには「そんな、直接顔も見ずに、機械を通して話をするなんて、非人間的だ!」という意見があったそうだ(この話にはオチがついていて、電話を使って人々がまず何を話したかというと、次に会う約束についてだった、とか)。
今や、電話が非人間的なものだなんて、誰も思わないだろう。急速に普及しはじめているファクシミリや留守番電話に比べると、肉声がリアルタイムで聞こえる電話というのは、かなり生々しいとさえ感じられる。
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