俵万智「今は写真・動画ではなく"言葉の時代"」の真意 なぜネットの「ごめん」は大事故になる? SNSは「違うルールの高速道路」のようなもの

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便利で、やっかいな時代を、私たちは生きている。顔の見える関係が広がった先に、さらに顔の見えない関係が追加された(撮影:今井康一)
スマホとネットが日常の一部となり、顔の見えない人ともコミュニケーションできる現代社会は、便利な反面、やっかいでもあります。言葉の力が生きる力とも言える時代に、日本語の足腰をどう鍛えるか、大切なことは何でしょうか。俵万智さんの著書『生きる言葉』より一部抜粋し再構成のうえそのヒントをお届けします。

「言葉よりも画像の時代」は本当?

いま、言葉の時代だなと思う。写真や動画が、かつてないほど手軽に撮れて発信できるので、「いや、言葉よりも画像の時代でしょ」と思う人が多いかもしれない。確かに、仔猫の可愛さをわかってもらうためには、100の言葉を費やすより、1枚の写真や数秒の動画のほうが雄弁……ということはある。

けれど、コミュニケーションということに関しては、時代の中で言葉の比重は増しているように思う。たとえば、生まれ育った村で一生を過ごすとしたら、周囲の人とのやり取りは、言葉以外のものがたっぷり助けてくれるだろう。なんなら、笑顔を見せるだけで、こぶしを突き上げるだけで、いつもと違う服を着ただけで、あなたの気持ちを伝えられるかもしれない。

ひと言つぶやいた「いやだ」という言葉の背景に、小さいころからの性質や日ごろの習慣や最近の体調なんかも加味して、理解してもらえるかもしれない。小さなコミュニティでは、わかりあうための情報として、言葉は数あるものの一つに過ぎない。

同じ言葉を発しても、「この人が言うんだから、よほどのことだ」から「また言ってるよ、しょうがないな」までグラデーション付きで伝わってゆく。

「村で一生」は極端な例だが、このような「個人の言葉の背景を理解してもらえる環境」ではないところで、多くのコミュニケーションをしていかねばならないのが現代社会だ。

家族や友人、恋人同士などはこの限りではないけれど、行動範囲がグンと広がり、ネットでのやり取りが日常になっている今、背景抜きの言葉をつかいこなす力は、非常に重要だ。それは、生きる力と言ってもいい。

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