そんな悔しさもあいまって早稲田大学に入学後に選択したのがアイドルのコピーダンスで大会に出て優勝を目指すということだった。
「自分もダンスで全国大会に出たい」とさまざまなサークルを見て回ったが、サークルごとにコピーするアイドルの系統が別れており、ピンとこない。「じゃあ、どうせなら自分の好きなアイドルのダンスをコピーしよう」と坂道系のコピーダンスサークルを創設し、仲間を募りスタートさせた。
だが、タイミングが最悪だった。折しも世の中はコロナ禍に突入。大学でまともに活動できたのは在学4年間の中でわずか2年程度。
「実際に集まってちゃんとサークル活動できたのは1年と4年のときだけでした。高校時代の後悔もあって、最後の4年のときにはもう最後の最後まで頑張ろうと必死に練習してました。それで最後の大会で優勝できたんです」
自身がアイドルになるわけではなく、あくまでもサークルとして、コピーダンスの大会で優勝を目指すために頑張る。それはアマチュアとしての誇りだった。だからサークルではアイドル志望者はあえて受け入れずに純粋にダンスやアイドルが好きな者だけを募っていたという。
自身の強みになればと書き始めたnote
「アイドルになりたいというよりも、しっかり大会で『勝ちたい』と思ってくれる方に限定してメンバーを募りました。だからこそ結果を残せたのだと思います」
楽しいだけではない。あくまでも結果にこだわるストイックさも持ち合わせていた。アイドル予備軍のサークルではないという徹底した意識がわかる。
大学卒業後は大手広告代理店に就職し、広告プランナーとして歩み始める。そこで自身が好きなことを活かせないかと考え、書き始めたのが「アイドルビジネス」に関するnoteでの投稿だった。
「推し活とかアイドルが好きなことで、もうひとつ肩書き、強みがあればいいかなと思ってnoteに書き始めたんです」




















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