吾妻橋駅は浅草駅への改称を経て、1931(昭和6)年に「業平橋駅」となった。「業平」は東京スカイツリーの南側エリアの地名で、平安時代の歌人である在原業平がこの地を訪れたことに由来している。
業平橋駅は物流ターミナルとしての役割を果たしてきたが、1993年に貨物輸送を終了。業平橋駅と押上駅をつなぐ敷地に東武鉄道の貨物ヤードがあり、東武鉄道が跡地の活用を検討していた。磐城セメント(現・住友大阪セメント)による日本初の生コンクリート工場などもあった。
東武鉄道にとって、この地は特別だった。1911~2009年まで本社ビルを構えていたからだ。2004年、東武鉄道をはじめとした地権者らにより、「押上・業平橋駅周辺地区まちづくり協議会」が発足した。そこに舞い込んできたのが、新タワー、現在の東京スカイツリーの誘致である。
東京スカイツリーの誘致によって動き出した再開発
東京スカイツリー建設のはじまりは、NHKと民放5社が地上波デジタル放送への完全移行に向けて、2003年に「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足したことである。
このプロジェクトを受け墨田区が新タワーの誘致を表明し、東武鉄道へ新タワー誘致の協力を要請。2005年2月に、東武鉄道が新タワーの事業主となることを正式に表明した。
墨田区のほかに、台東区、豊島区、さいたま市なども新タワー建設の候補地であった。NHKと民放5社による検討の結果、2006年3月に押上・業平橋駅地区が新タワーの建設地として正式に決定した。
2006年5月、東武鉄道は新タワーを含む開発に乗り出し、新東京タワー株式会社(現・東武タワースカイツリー株式会社)を設立。街のコンセプトを「Rising East Project」と定めた。江戸の文化と下町情緒を受け継ぎ、生かすことを目指したもので、「East」は東京の東、日本の東、世界の東を表している。




















無料会員登録はこちら
ログインはこちら