「Fランは要らない」議論をしている場合ではない、このままでは地方の小規模大学はどんどん潰れる…"ユニバーサル・アクセス"の維持が重要な訳

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ですから、私学助成が延命策だとすれば、それに頼っている大学はとっくに潰れているでしょう。一般的に見れば、国からいただいているのは決して安い金額ではありませんが、これだけで大学を運営することはできません。

また、近年は「Fラン」という言葉が一人歩きしていると思います。これは受験産業が「偏差値を算出できない大学」を指す際に使った「ボーダーフリー大学」が転じた言葉で、実際にそういう大学は全国に10%あるかどうか。仮に、その大学がなくなったとしても、そういった大学の数からしても、助成されている額からしても、国家財政が潤うわけではありません。

大森昭生 共愛学園前橋国際大学学長
大森昭生(おおもり あきお)共愛学園前橋国際大学学長、中央教育審議会大学分科会委員、地域大学振興に関する有識者会議座長(写真:共愛学園前橋国際大学)

「受験難易度の低い大学が不要」という議論は、昭和の大学のイメージで語られていると感じます。「クラスに3人しか大学に行かない」という昭和の時代であれば、受験難易度の低い大学は不要という考えも理解できなくはありません。しかし、今もそれでいいのでしょうか。

今、日本の高校進学率は98%ですが、昭和の初めは限られた人しか高校に行けませんでした。「高校に行くなんて贅沢だ」という声は、どこかの段階で上がったかもしれませんが、高校進学率の高さは目に見えて国力につながっていきました。これと同じことが大学でも起こっているのです。

もちろん、高卒の方を否定しているわけではなく、高卒で優秀な方もたくさん知っていますが、誰もがいつでも自らの選択により大学で学ぶことができる「ユニバーサル・アクセス」を維持することは重要です。そうやって全体の底上げをすることで、知の総和も向上していくのです。

大学の役割が大きく変わりつつある

――日本の大学進学率はOECD平均と同水準で、韓国の約7割、オーストラリアの約8割と大きな差がありますね。

かつて高校がそうであったように、日本も学部卒が当たり前という時代になろうとしています。逆に、社会が大学を出た人材を活用できなければ、日本は世界に取り残されていくことになるでしょう。さらに言えば、世界の潮流を見れば、企業のリーダーはマスターやドクターを持っています。

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