「今夜の会食で予約していたのに、当日に倒産するとは・・・」 高級中華料理の名門《聘珍樓》倒産の一部始終 “3度目の倒産”は必然か
横浜本店をはじめ、東京・日比谷、大阪・梅田、福岡・小倉などに出店するほか、全国各地の大手百貨店内に惣菜店などもテナント出店した。これらの店舗売り上げに加え、レトルト食品や中華缶詰の製造販売事業などを合わせた年売上高は、2002年3月期に約116億円にのぼった。
高いブランド力を活かして、百貨店内やインターネットを通じた総菜販売にも注力し、2007年3月期には年売上高約107億9900万円を計上。一時はJASDAQ市場への株式上場も視野に入れていた。

しかし、2008年のリーマン・ショックを機に業況は一変。その後は景気悪化による法人需要の低迷で、売り上げはジリ貧状態が続いた。
従前からの高コスト体質とリストラ費用で債務超過額が膨らむなか、2016年4月に香港の投資ファンドの出資を得て設立された当社に全事業を譲渡。旧会社は翌2017年3月に裁判所から特別清算開始の決定を受け、「1度目の倒産」に追い込まれた。
1度目の倒産から再建を期待した矢先に…
2018年4月には、「聘珍樓横濱本店」の事業を別途設立した新会社へ承継するなど、再建に向けた取り組みを順次進めた。店舗テナント賃料の減額交渉や、レストラン事業におけるサービス料の値上げ等の効果もあって、2019年3月期まで3期連続で黒字を計上するまでに業績を回復させた。
「このまま順調に再建が進んでいくはず」――。会社側の淡い期待を打ち砕いたのが、2020年からのコロナ禍だった。政府・自治体からの自粛要請により営業時間の短縮や休業を強いられ、2021年3月期は約8億7500万円もの大幅な営業赤字を計上した。
翌2022年には、「横濱本店」を引き継いだ新会社が「不動産賃料の未払い」を原因として、同年6月に横浜地裁から破産手続き開始決定を受け、聘珍樓グループとして「2度目の倒産」という憂き目に遭った。
筆者はコロナ禍前、「聘珍樓横濱本店」で会食したことが何度かあった。いずれも会合や接待の場として招かれたものだったが、クラシカルな調度品が並ぶ高級感漂う店内の雰囲気や、次々と運ばれてくる本場の広東料理の数々に好印象を抱いていた。個人的にも思い出深く、横浜中華街のシンボル的な存在だった横濱本店閉鎖というニュースは、当時全国的にも大きな話題を集めた。
日比谷、吉祥寺、梅田、小倉の4店舗を展開していた当社はコロナ禍において、雇用調整助成金、時短協力金、ゼロゼロ融資の導入、公租公課の支払い猶予等により、なんとか資金繰りをつないだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら