「東京でアーティストになりたい」ーー。59歳で香川から”東京移住”を夫婦が決断するまで。夫は”歌手”妻は”画家”の≪第2の人生≫へ

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育児方針は「怒らず、本人に決めさせる」。長男が当時は心臓疾患を抱えていたこともあり、「生きていてくれればそれでいい」と考えていたという。

今も家族の仲はよく、休日には一緒に出かけることも多い。「子どもの決断を尊重するようになったのは、長野に戻らず東京や香川で暮らすことを許してくれた自分の両親から学んだことでもあります」(昌樹さん)。

音楽とアート、夫婦の夢が再始動

法子さんは育児に追われる日々で、絵を描く時間を封印していた。昌樹さんが音楽に目覚めたのは55歳。EXILEのATSUSHIさんの歌声に衝撃を受けたのがきっかけだった。

やや唐突な印象を受けるが、もともと音楽は大好きだったという。昌樹さんは高校時代、千昌夫さんの大ファンで、弟子入りも考えたこともあった。

“音楽熱”が再燃してからは、ATSUSHIさんの「完コピ」を目指して猛練習した。東京に来るまでの4年ほど、仕事帰りのたんぼ道に車を停め、車内で歌った。不審に思った警察官に話しかけられることもあったが、次第に顔を覚えられ、そういうこともなくなった。

当時は法子さんとの仲があまりよくなかったため、歌手になりたいということはしばらく伝えていなかった。だが、昌樹さんは本気だった。

「僕は音楽、妻はアートというお互いの夢があった。夢を実現するために2人で話し合い、59歳で東京に出ようとなったわけです。香川で30年ほど暮らしてきましたが、この経験が逆によかったと思います。いろいろ経験した方が表現にも深みが出る。若い頃に芸術や文化の活動をしても、そうした表現はなかなか出せなかったと思います」

――人生はいつでもやり直せる。香川から東京へ。2人の現在を、後編『59歳で香川から「東京移住」、夫は歌手オーディションに合格し配信デビュー決定、妻は”ルーブルのアートフェア”に出品で≪人生が一変≫』で紹介する。

東京“老後”移住
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岩崎 貴行 ジャーナリスト・文筆家

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いわさき たかゆき / Takayuki Iwasaki

1979年埼玉県生まれ。2003年早稲田大学政治経済学部卒業、同年日本経済新聞社に入社。政治部、金沢支局、社会部を経て、2013~2020年文化部で音楽(ジャズ・クラシックほか)や文芸などを担当。さいたま支局キャップ、地域報道センター次長も務めた。2024年9月に同社を退職し、同年10月から出版社勤務。専門は音楽を中心とする芸術文化で、音楽雑誌やネットメディアなどへの寄稿多数。東日本大震災、福島第1原発事故などの取材に関わった経験から、環境問題、地域振興などへの関心も高い。

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