テック・オリガーキーとはスティグリッツがよく使う言葉で、オリガーキーは寡占(少数者による占有)という意味ではあるがそれには貴族化という含意もある。
テック・リバタリアンという言葉もメディアではよく使われていて、それは彼らの自由至上主義的な傾向をさす。また自由市場のパワーで貴族にまで上り詰めた彼らが自由を謳歌してさらに巨大になっていく、その特徴を表現したものでもある。
そしてここには大きな矛盾があり、テック・リバタリアンは自由至上主義者ではあるがテック・オリガーキーとして振る舞い、下層の民の自由が自身と対等であるべきとは思わない。あくまでも自由とパワーは努力で勝ち取ったものであって、下層の者が自由を使ってより大きな自由を得られないのは自己責任だ、というわけである。
ただスティグリッツは、彼らは非対称性や外部性等を駆使しフェアでない土俵で勝つことによりその地位を維持していると思っているようだ。
氏はこの状況を「21世紀の新しい封建主義」とまで表現することもあるが、その氏の心情はここまで読み進めた読者であれば想像しやすいのではないかと思う。
トランプ政権をスティグリッツはどう思っているのか
テック・オリガーキーたちによる封建主義化を危惧するスティグリッツは、ではトランプ大統領をどう思っているだろうか。
直近のインタビューや論説を読むと、その批判はさらにもう一段進む。
まず、トランプ政権は経済学を理解していないと言う。たとえば、関税政策に関してはS-I=X-Mというマクロ経済学の履修者なら誰もが知っている基本的な数式を出して貿易赤字は関税で減らせない(あるいは関税で減らそうとしても意味がない)と説明する。
これは数式を使っているので一見して分析的に冷静に言っているように見えるかもしれないが、じつはそんなことはなく、近代の経済学ができる前の発想で論外だ、という強烈な皮肉のように私には見える。
いうまでもなく近代の経済学は絶対王政時に萌芽し、自由市場のメカニズムを核に資本主義としての洗練を重ねて、そのパワーで王政時代の重商主義を凌駕し、最終的には絶対王政そのものを葬り去る市民革命の原動力となった。
つまりスティグリッツは、「21世紀の封建主義」どころかアメリカはもはや古の「封建主義そのもの」に戻ってしまっているじゃないか、そう言っているように私には思える。
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