スティグリッツ経済学の基本スタンスは、「自由市場は多大なメリットがある」が「限界と副作用がある」という認識に起因する。これは彼がいま「自由とは何か」をあらためて問いかけていることと直接的に繋がる。
自由は素晴らしくかけがえのないものではあるが、それ自体が弊害も生み得る、という長年にわたる分析からの確信がある。ノーベル賞を獲得したのもこの理論化の成果であって、氏の十八番と言ってもよい。
自由な市場取引が多くのメリットをもたらすというのはアダム・スミス以来の経済学の核にある概念で、実際のメカニズムとしても非常に強力なものだ。これに合意しない者は現在主流の経済学内にはほぼいない。あとは程度の問題で、自由な市場取引を放任した方がいいか修正した方がいいか、という立場の違いがある。
以前は自由放任を進めた方がよい(=社会のためになる)という意見が多く理論化もされた。とくに1980年代以降ではそれは政治的にも主流派となって現在に至っている。だが、並行してスティグリッツらによって自由市場の欠陥と弊害が露わになり、そのメカニズムが理論的にも示される。この対立軸は昔も今も経済学者の論争の根底にある非常に重要なものだ。
自由放任ではうまくいかないケース
自由放任論者は自由市場が最大の利益を生み出し最適に配分すると主張する。それに対してスティグリッツと修正的自由市場論者は必ずしも自由放任ではうまくいかないケースを挙げる。新著でも重要概念として真っ先に挙げられているが、大まかに2つ挙げれば「非対称性」と「外部性」である。
非対称性とは、たとえば情報やリソースが均一ではなく偏りがある場合で、自由放任だと市場がうまく機能しなくなってしまう(詐欺や不買が発生する)。完全情報下であれば自由市場は理想的にうまく機能すると言うかもしれないが現実的には非対称性を無視できるケースはほとんどないだろう、という論立てだ。
また外部性とは、わかりやすく言うと市場で取引できない要素がある、ということだ。たとえば工場は水や大気を使って(汚染して)製品を作って売ったとして、その市場価格には環境汚染を元に戻す費用が含まれていない、といった場合だ。これでは自由市場で最適配分ができるとは言いがたい(ただ乗りを防止できていない)というわけだ。
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