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生誕100年、沖縄と日本本土の溝を象徴する学者政治家・大田昌秀の人生。独立論に傾いていった苦悶と日本政治への絶望

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県民の4人に1人が亡くなるという悲惨な地上戦であった沖縄戦は、大田の人生に決定的な影響を与えた。九死に一生を得た大田は、その後の人生を沖縄戦の犠牲者の慰霊と、沖縄戦がなぜ起こったのかの解明、そして沖縄戦の悲劇を繰り返さないことに捧げる。

後に大田が研究者として指摘したように、沖縄戦の体験と記憶は沖縄の人々のアイデンティティの重要部分を構成している。

沖縄が本土決戦への時間稼ぎのために「捨て石」とされて多くの犠牲者が出たこと、日本軍が住民を守らなかったどころか住民が日本軍から戦争協力を求められたあげくスパイ視されて殺害される出来事もあったこと、そして住民の間で集団自決といった悲劇もあったこと。

これらは、近代以降、日本が沖縄を「同化」しながら劣位に置こうとする一方、沖縄の人びとが主体的に日本の権力に追従し「同化」を受け入れる「事大主義」の姿勢をとった結果だと大田は考えた。そして日本と沖縄それぞれが差別意識や「事大主義」を克服する自己変革の必要性を訴えるのである。

密航船でもたらされた日本国憲法に感動

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