「塞翁が馬」だからこそ人生は楽しい…山中伸弥さんが近大の卒業式で語った"二転三転"の研究者人生

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山中という名前ですが、山中と呼んでもらったことはありません。何と呼ばれていたかというと、「ジャマナカ」。「こら! ジャマナカ、ジャマナカ」と毎日呼ばれていました。

さらにその2年の間に、大好きだった父親が亡くなってしまいました。医者としての自信も失い、毎日怒鳴られて、外科医だったのですが手術もうまいこといかない。しかも、実の父親も助けられなかったということで、医師としての自信を失ってしまいました。

そして、どうやってこの後の人生を過ごしていこうかなと考えたときに、なろうと思ったのが研究者です。

大学院に入り直して、研究者の道へ

学生時代から研究には興味がありました。いったんは臨床医になったのですが、自分の父親のような患者さんをまったく助けてあげることができませんでした。どうしたら今の医学では治せない患者さんを助けることができるかなと考えて、思いついたのが研究者でした。

そこから、もう1度大学院に入り直して、研究者の道を歩み出しました。その後アメリカにも行って、研究のトレーニングを続けました。そのときは、これが自分の天職だと感じました。臨床医としてはもうぜんぜんダメで、逃げ出して研究者になったわけですが、研究者としては才能があるんじゃないかとすごく思いました。

アメリカでの研究が非常に順調で、「これでようやく天職を見つけた!」「この後はずっと研究者でがんばろう!」と思って、日本に帰ってきました。自信満々で帰ってきましたが、アメリカと日本の研究環境がぜんぜん違って、日本に帰ってきたらすぐに、また自信を失ってしまいました。

アメリカでうまいこといっていた研究が、日本ではまったくうまいこといかないんです。

日本に帰ってきてやっていたのは、ねずみを使う実験で、もう何百匹というねずみの世話をする必要があって、毎日毎日200匹300匹のねずみの世話ばっかり。自分が研究者なのか、ねずみの世話係なのかがわからない、そんな毎日。

そういう間に、「これはやっぱり研究者としてもダメだ……」と、また自信を失くしてしまったのです。「どうしよう?」と。

このまま毎日ねずみの世話をしていても、役になんか立つわけがない。そのときに、「もう1度、臨床医に戻ろう、もう一度、外科医に戻って、もう1度、一からやり直そう。そのほうが世の中の役に立つ」と思って、本当に研究から逃げ出して、臨床に戻る直前までいっていました。

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