『蜘蛛の糸巻』には、ほかにも興味深い記述がある。「天明四年の春米価貴躍」とあり、この頃は令和に生きる私たちと同様に、米の値上がりに民衆は苦しんでいたらしい。しかし、佐野が意知を斬ると、意外なことが起きたという。
「翌日より高直(原文ママ、「高値」のこと)なりし米価俄に下落し故、佐野を世直し大明神と市中にて唱しゆへなり」
「世直し大明神」とあがめられた佐野政言
意知が斬られた翌日から米価が下がったこともあって、佐野は「世直し大明神」とあがめられたというから、メチャクチャである。
息子の将来を案じた親心が仇となり、自身への反感をも息子に背負わせてしまい、嫡男を失った意次。その後、何事もなかったかのように政務に励んだという。その胸中は、いかばかりのものだっただろうか。
意次が68歳でその生涯を閉じたのは、天明8(1788)年、息子・意知の死から4年後のことである。
【参考文献】
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)
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