「オタク=教養人」ではないように、深い専門性を持つ人が教養ある人ではない。「世界のしくみ」を理解し、コミュニケーションを磨く方法

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会話や意思疎通に必要なのは言語ではない。共通項だ。そして人類の共通項は、僕がまだよく知らないだけですでにそこにある。

いまここにいる僕と皆さんだけでなく、過去や未来の人びとまでもいっしょに、すべての人が持っている共通項。僕たちはそれを「教養」「人文学」と呼ぶ。

日本人が誤解している「教養」の意味

教養とは、クラシック音楽を聴きながら優雅に紅茶を飲むような、そんなものじゃない。教養と人文学とはつまり、「幅広くて浅い知識」だ。

個人個人が持っている専門的な知識は生計を立てるためには必要不可欠だけれど、人と会話するときにはあまり役に立たない。教養と人文学という人間の英知が、僕たちを奥深い大人のコミュニケーションゲームに招待してくれる。

教養とは「幅が広くて浅い知識」のことだ。このような知識はコミュニケーションの基礎で、人と人が会話するときの最低限の共通項になる。

では逆に「幅が狭くて深い知識」は、どうだろう。

専門的で、個別的な知識だ。

このような知識は僕たちに専門性を与えて、ものごとをスムーズに、そして効率的に進めてくれる。ほとんどの人はすでに狭くて深い知識を持っている。これは学歴や教育水準が関連している場合もあるけれど、そうでない場合もある。

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