大阪・関西万博に台湾が「一民間企業」として参加せざるをえない理由、中国大陸との関係に左右されてきた歴史
この流れは、台湾への万博出展招請にも影響した。大阪万博を最後に、台湾のパビリオンは正式な万博からは姿を消す。ちなみに2005年の愛・地球博(愛知万博)には、レストランだけしか出していない。
台湾が再び万博にパビリオンを出したのは、今では意外に思われる方も多いかと思うが、中国大陸で開催された2010年の上海万博だった。台湾では、2008年に発足した中国国民党(国民党)の馬英九政権が中国大陸との関係緩和と拡大に力を入れていた。
2010年上海万博では「台湾館」
台湾は民間団体として招請を受け、TAITRAが出展した「台湾館」、そして鴻海(ホンハイ)グループが単独で賛助した「台北館」、そして震旦(オーロラ)グループの「震旦館」の3つのパビリオンがお目見えした。
そのうち、台湾にとってメインとなる「台湾館」はガラス作りで、台湾の民間行事で使われることで知られる「天灯」(空に放つランタン)の造形にデザインされるなど、台湾の伝統と現代の融和をイメージさせるものとして人気を集めた。台湾と中国大陸との関係が大きく進展し、中国大陸の庶民の間でも台湾の人気が高まっていた時代だ。
「台湾館」はまた、香港やマカオおよび中国大陸のほかの自治体のパビリオンから離れたエリアに、中国館と向き合うように開設された。上海万博における「台湾館」の出現が、台湾と中国大陸の間の高度な政治的判断に基づくものであったことがうかがえる。
当時野党だった民進党側は、民間団体として2010年の上海万博に参加したことに対し、国民党政権の方針を「国家の尊厳を損なうもの」と批判した。民進党は、中国大陸との関係を拡大する当時の与党の国民党に対して批判的だったのだ。
その後、台湾は2015年のミラノ国際博覧会に「台湾外帯館」、2021年のドバイ国際博覧会に「群衆国家館」の名称を使い、いずれも民間団体としてパビリオンを出展している。
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