日本を破った人気急上昇の台湾プロ野球、台湾の政治家が日本のドーム球場を相次いで訪問するわけ

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野球は日本植民地時代に台湾に伝わった。1931年に甲子園で準優勝を果たした台湾の嘉義農林高校はよく知られている。2014年に公開された台湾映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』をごらんになった読者も少なくはないだろう。

戦後になると、台湾は1971年に国連を脱退するが、その前後に活躍したのが少年野球だ。アメリカで開催される少年野球の世界大会「リトルリーグ・ベースボール・ワールドシリーズ」で何度も優勝した少年野球に、台湾の人たちは熱狂した。

野球が国威発揚に利用された過去も

大陸中国に押され、外交的に追い詰められていく当時の国民党政権下の台湾が、唯一世界に認められるのが野球だったのだ。台湾人のプライドを託された野球。それは、当時、政治的な国威発揚に利用されることになった。

その台湾野球が、最高潮に達したのがプロ野球の発足だったと言えよう。台湾プロ野球は人気を集め、一時期2リーグを擁するまでになった。しかし、その後の台湾プロ野球の変遷は、悲しいものとなる。

野球賭博にともなう八百長事件が頻発して人気が低迷し、リーグは1つになった。実は、正直に言えば今も人気は、かつてのレベルほどまで回復していない。その間、各チームが持つチアガールチームの人気が高まり、皮肉なことに野球そのものよりむしろそちらが注目されるようになった。

それでも、野球が台湾の人たちにとって特別な存在であることに変わりがないことは、「プレミア12」でもたらされた興奮を見て、改めて思い知らされた。

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