軍用線だった「新京成電鉄」その痕跡と当時の記録 京成電鉄と合併、4月から「京成松戸線」に変更
習志野市の津田沼駅前にある「津田沼一丁目公園」では、同鉄道で使用されていた小型蒸気機関車「日本陸軍鉄道連隊K2形134号機」が静態保存されている。市の担当者によると戦時中は、物資の輸送などに使用され、戦後、西武鉄道で運行後にユネスコ村で保存されたあと、1993年に習志野市が譲り受け、同公園で保存することになったという。
この日本陸軍鉄道連隊K2形蒸気機関車は47両製造され、一部は満州に送られ使用していたが、多くの機関車は国内でも活躍した。軌間は600mmであったが、国鉄の入れ替え機として使用されるにあたり、1067mmに改軌した機関車も存在した。戦時中の苦しい時代を生き抜いた機関車だったが、公式に現存が確認できるK2形蒸気機関車は、この1台のみとなっている。

K2形機関車134号の車歴などが残っているのだろうか。製造日時や製造工場(場所)、運用開始日時、所有者の移り変わりなどについて興味を持っている人が多いはずだ。担当者に尋ねると以下のことが分かった。
製造所:川崎車輌 製造年:昭和17~19年頃
軍用鉄道だったが住民の乗車もできた
担当者から軍用鉄道当時の様子を教えてもらった。「鉄道連隊は軍隊の鉄道でしたが、地域住民との関わりも深く、ときには住民の無料便乗を許した」とのことだ。また、「事前に申し込みを行えば、貨物や農産物などの輸送も行った」という。住民は、「軽便鉄道」と呼んで利用していたそうだ。
その後、1947年に旧演習線用地を利用して、現在の新京成線が開通した。はじめは、旧新津田沼―薬園台間(2.5km)の開通であった。
当時の電車内は東京、千葉方面への野菜行商人のかごと人で占有されていたが、東京、千葉近辺から、食料の買い出しで利用する人も少なくなかったそうだ。
新京成電鉄の開業に際し、市としてどのような働きがけをしたのか、経済的な効果(街の発展)などは、どのように推移したのかも尋ねたが、「不明」とのことだった。
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