そしてその数年後の1987年、銀座のはずれと言ってもいい一丁目のもっとも京橋側に竣工したのは、セゾングループの西洋環境開発が手がけたホテル西洋、銀座セゾン劇場などの入るビル。これで、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったセゾングループが、悲願の銀座進出を実現させたと注目された。

しかしながら、その十数年後の2000年には、バブル期の過剰投資が仇になり、西洋環境開発は経営破綻。セゾングループも解体となり、銀座・有楽町には、その百貨店、ホテル、劇場ともに現存していない。
銀座には常に時代の寵児、勝利者しか存在し続けることができず、その勢いを失うとともに退場、撤退するしかないというのが、この街における現実なのだ。
このほか、1980年代半ばのバブル期の銀座の写真を見ると気づくのは銀行の支店が目抜き通りの良い場所に並んでいること。太陽神戸、協和、東海、住友など、その後合併により失われた行名の看板を今見ると感慨深い。


丸源ビルの台頭
そして、昭和のおじさんたちが楽しく飲んでいた銀座7~8丁目のバー、クラブ街に1970年代頃から台頭し始めたのは、丸源ビルだった。

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