ちょっとラスベガスっぽい?60年前の「ネオンきらめく銀座」が現在の姿になるまでをアナログ写真で振り返る。意外と変化している「日本一地価が高い街」の変遷

✎ 1〜 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

あまりに高価な土地で長年自店を営業し続けるというのもなかなかたいへんそうだが、近年の銀座の目抜き通りには、ルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス、グッチ、カルティエ、ティファニーなど海外のラグジュアリーブランドのショップが並ぶようになった。

これらブランド店の入居するビルには、銀座の老舗店舗が建て替わったものや、一棟丸ごとブランドに賃貸されているという例も多く、これも銀座の街並み変化の一つの傾向といえそうだ。

1960年代のネオンが煌めく風景

戦後に銀座の街が大変貌したのは高度経済成長期のこと。それまで銀座を囲んでいた掘割、川などは埋め立てられて高速道路となり、急ごしらえのバラック的な商店建築は鉄筋コンクリートのビルに建て替わった。

その時代から長らく銀座のランドマークとして存在し続けてきたのは、4丁目交差点に面した三愛ドリームセンター(1963年築)。そして数寄屋橋交差点のソニービル(1966年築)だった。

1960年代の晴海通り沿いの夜景の写真を見ると、三愛、ソニービルなどのネオンが煌めく懐かしい風景。この時代目立っていたのは森永の地球儀型のネオンだったが、今そのネオンを冠していたビルは一棟丸ごと、イタリアのラグジュアリーブランド、ジョルジオ・アルマーニの店舗になっている。

銀座のネオン
銀座のネオン(写真:1969年11月7日、東洋経済写真部撮影)
銀座のネオン
銀座のネオン(写真:1969年11月7日、東洋経済写真部撮影)

そして、1980年代の銀座の写真を見ると、今も変わらないものは、4丁目交差点の和光と三越、銀座通り沿いの松屋デパート、そして銀座7〜8丁目に分布するバー、クラブ街といったところだろうか。

銀座
(写真:1973年9月、東洋経済写真部撮影)
銀座
(写真:1981年5月21日、高橋孫一郎撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事