豪州やNZで「日本人の鉄道旅」が激減した原因 ワーホリで渡航したのに「仕事がない」悲哀
アジア諸国などと違い、オセアニアやカナダでは、いくら日本人観光客が多くても、現地の人は片言でも日本語を覚えようとすることはなかったので、日本人の労働力が重宝されたのである。
ところが、現在はこれらの地域への日本人観光客が激減してしまい、日本人の、いわば特需だったともいえる仕事が消滅しているのである。
ワーホリのある国は日本人であふれていた
思い起こすと、当時のこれらの国への旅行需要は現在では考えられないくらい高かった。日本人の定番旅行先、とくに新婚旅行などは、ありきたりのハワイから、オーストラリアやニュージーランドが注目され、カナダのロッキー山脈周辺の大自然にも人気があった。
どのくらい日本からの渡航需要があったかは、当時の航空路線を思い起こすと理解できる。オーストラリアのカンタス航空は日本からシドニー、メルボルン、ブリスベン、ケアンズ、アデレード、パース、ダーウィンにまで直行便を飛ばしていた。タスマニア州以外の全地域へ国際線直行便があったのは日本だけであった。
とくにケアンズへは日本からの便が多かったが、欧米やアジアの航空会社は乗り入れておらず、後に香港からキャセイパシフィック航空が乗り入れたものの、日本人比率の高い観光地で、この地を走るキュランダ観光鉄道は、日本人貸し切り状態の車両があるほどだった。
ニュージーランド航空にいたっては、日本路線はルートが特異であった。最大都市であるオークランドが拠点で、日本路線以外の長距離国際線はすべてオークランド発着だったが、当時、日本路線だけは日本からクライストチャーチへ飛び、オークランドから日本へ飛ぶというルートだった。日本からのツアーは最初に南島を観光し、最後に最大都市のオークランドでショッピングなどを楽しんで帰国という行程だったが、それに合わせた運航をしていたのである。日本人観光客が激減した現在は、往路も復路もオークランド発着となっている。
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