「残りの人生で子供たちと会える日はあと何日?」62歳で大分から”東京移住”を夫婦が決断するまで。移住あるある「墓問題」も聞いた

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

祖母の三回忌が終わった2016年頃から移住を意識して準備を始め、実際に移住したのは2017年5月だった。

長年慣れ親しんだ大分の地を離れることに心配や後悔はなかったのだろうか。

人生の大半の時間を大分で過ごしてきた春美さんからは、意外な言葉が飛び出した。

「私が大井家の跡取りでなかったことは、移住が早く進んだ要因の一つでした。自分たちの一戸建ては代々住んだ土地ではなく、大分市内の新興住宅街に建てた家です。地元には友人もいて愛着はありましたが、執着はありませんでした」

移住あるある「墓問題」は…

大井家の墓は大分にあったが、春美さんの年の離れた姉が養子をもらって本家を継いでいた。そのため、春美さんに継ぐべき墓はなかった。田舎の場合は特にお墓のことが問題になるケースが多いことから、大井家のようにスムーズに東京移住ができた例は珍しいかもしれない。

話を聞くうちに、移住がトントン拍子に進んだ理由が2つ見えてきた。

まず夫婦両方に移住しようという気持ちがあったことだ。多くの家庭で、ここがなかなか難しい。

「1人になったら(配偶者に先立たれたら)子供のもとに行きたい、という話はよく聞きますが、それでは多くの場合80歳くらいになってしまう。その歳では、息子や娘のところに行っても身動きが取れない。少しでも早く移住して、仕事を見つけたり東京を楽しんだりしたいと2人とも意見が一致しました」(春美さん)

そして2つ目の理由は、子供2人も移住を後押ししたことだ。

あゆみさんも弟も大学から上京し、大分に帰る気はなかった。ただ、苦労しながら自分たちを東京に送り出してくれた両親には、老後は楽しく自由な生活を送ってほしいという思いが2人ともあったという。

「父は朝から晩まですごく働いていて、小さい頃からその姿を見てきました。父は自営で運送業をしていて、贈り物が多いクリスマスや正月などはものすごく忙しかった。そんな忙しい中でも、父は私と弟が高校に通学するときに軽トラで毎日送迎をしてくれました」(あゆみさん)

軽トラでの“親子時間”はコミュニケーションが不足しがちな思春期でも親子関係を良好に保つことに役立ったようだ。

取材後、夫妻の思い出の場所・日本橋で仲良く談笑する大井さん一家(写真:今井康一撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事