「残りの人生で子供たちと会える日はあと何日?」62歳で大分から”東京移住”を夫婦が決断するまで。移住あるある「墓問題」も聞いた

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さらにあゆみさんはこう続けた。

「大分は地元で進学して地元で就職する人が多い土地ですが、両親は東京の大学進学を応援してくれました」

春美さんは地元の高校卒業後に福岡の大学に進学したが、勉強をサボってしまい大学を中退している。

「私は若い頃、遊び回っていて勉強しなかったので、子供はちゃんと勉強して選択肢を増やしてほしかった。それに2人とも成績は小さいころから『俺の子にしてはできるな』という感じだったから」(春美さん)

大井家が昔から親子間のコミュニケーションが活発で、互いに強い家族愛を持っていたことは移住の成功と無関係ではないだろう。

家具を搬出する春美さん。運送業に従事していたためお手の物だ(写真:大井あゆみさん提供)

最初は「海が見える街」を探したが…

両親から移住の意向を聞いたあゆみさんは、早速家探しを始めた。

『両親が元気なうちに“実家じまい”始めました』
あゆみさんが一家の移住にまつわる話をマンガ『両親が元気なうちに“実家じまい”始めました』(光文社)にまとめている。夫妻の移住についてさらに詳しく知ることができるので、東京への老後移住を考える人に是非お勧めしたい一冊だ

「弟が千葉に住んでいたので、孫の世話に行くことも考えて当初は千葉で家を探しました。千葉は千葉でもせっかく老後を過ごすなら『海が見える街』がいいということで、内房・外房でいくつか回りました」(あゆみさん)

しかし結局、弟さんの「海が見えるところなんてすぐ飽きる。現実的に暮らしやすいところがいい」という一言で方針転換。

弟さんは東京の会社に勤めていたため、「(両親が)東京に住めば仕事で遅くなっても東京に泊まる場所ができる」とのことで、東京で探し直すことになった。

後編62歳で「東京移住」して気づいた苦労とメリットでは、高齢者に立ちはだかる“マンション契約の壁”や初めてのマンション暮らしでの隣人トラブル、意外と増えた健康習慣、移住後8年たった今思うことなどを紹介する。

岩崎 貴行 ジャーナリスト・文筆家

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いわさき たかゆき / Takayuki Iwasaki

1979年埼玉県生まれ。2003年早稲田大学政治経済学部卒業、同年日本経済新聞社に入社。政治部、金沢支局、社会部を経て、2013~2020年文化部で音楽(ジャズ・クラシックほか)や文芸などを担当。さいたま支局キャップ、地域報道センター次長も務めた。2024年9月に同社を退職し、同年10月から出版社勤務。専門は音楽を中心とする芸術文化で、音楽雑誌やネットメディアなどへの寄稿多数。東日本大震災、福島第1原発事故などの取材に関わった経験から、環境問題、地域振興などへの関心も高い。

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