米国文学研究者が「自己啓発本」にのめり込んだ訳 系統立てて読むことで真意がわかるようになる

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しかし沼に嵌まるのも一興で、そうやって芋づるを手繰るように次から次へと読み漁っている内に、自己啓発本というのは個々の作品が独立して存在しているのではなく、ほかの作品とつながった形で存在しているのだ、ということがわかってきた。

自己啓発本というのは、実は「本」ではなく、星座のように網目状をした「体系」なのである。だから自己啓発本を理解するということは、とりもなおさず体系を理解することに他ならない。

星座だって、体系として見るからこそ、そこに「御者」だの「牡牛」だの「双子」だのの姿が立ち現れてくるのであって、個々の星を見ているだけでは全体像を掴むことはできない。

それと同じで、自己啓発本もバラバラに読むのではなく、系統立てて古いものから順に読んでいくと、そこに真意がふわりと立ち現れるものなのだ。

「なぜこの時代にこのような自己啓発本が書かれたのか」とか、「なぜ自己啓発本には一見すると馬鹿馬鹿しいと思えるような主張が堂々となされているのか」といったことも、体系として読めばわかるようになる。

先に上梓した『14歳からの自己啓発』と『アメリカは自己啓発本でできている』という2著は、体系として読んだ場合、自己啓発本なる文学ジャンルが主張していることの意味がどう見えてくるかについて、私見を披歴したものである。

いわば自己啓発本という宙(そら)に浮かぶ星座をあちこち指さしながら、「ほら、あそこに御者が見える。その右に見えるのは牡牛、左に見えるのが双子……」と伝えているようなものと言えばいいだろうか。

なんだかんだ、自己啓発本が好き

とはいえ、元来天邪鬼の私のこと。体系だ、体系だと得意になって宙を指さしている内に、そんな自分自身に飽きてくるというか、嫌気が差してくるところもある。

体系はわかった、しかし、一つひとつの星の輝きに、お前は目を留めたことはないのかね?と。考えてみればそのとおり。全体像を掴むのも大事だが、一つ一つの自己啓発本の面白さを伝えるのも、研究者たるものの勤めである。

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