今回の答申は、「文科省を頼るな」といったメッセージだと受け取ったほうが良い。地域の大学が主体的に協調する環境を整えたうえで、実効性のある地域連携の協議体ができるのであれば、そこと協調していけばいい。こうした協議体は実態があってこそ機能する。まずは文科省に頼らず、主体的に手弁当での地域における大学間での協調からだ。
「再構築」と言うのであれば、もっと踏み込んで、ひとくくりにできない大学の「機能分化」をするところまで議論してもらいたかったが、そこまでは至らず、本当に残念な結果になっている。
一方で、文科省のこうした答申と一緒に提出される関連資料やデータはとても読み応えのあるものだ。
これらをみていると、文科省が大学を取り巻く状況を俯瞰(ふかん)しており、多岐にわたる課題意識を持っていることがよくわかる。そんな資料による下地があるにもかかわらず、なぜこんなに解像度の低い議論になったのか。
「かけ声答申」になった背景
タイミングが悪かったのだろう。
少子化と人工知能(AI)を中心としたデジタルに関しては、今後の大学を取り巻く環境において、注視しないといけないものであることは言うまでもない。しかし、AIがここまで急激に進化すると、教育への影響は測りきれないし、この先、いつ、どこまで進化するのか予測が立たない。
少子化の行方はデータから推測できたとしても、どこまで進化するかわからないAIの影響を予測して議論することはできない。だから、AIに関する議論はフェードアウトしている。AIやそれを活用したEdTechが教育に及ぼす影響についての議論に物足りなさを感じることは致し方ない。
少子化ゆえに、文科省においては国家予算が付きにくく、大学教育に回りにくい状況だ。予算がふんだんに付くことを想定できるのであればもっと華々しい議論もできるだろうが、そうではないのだから、元気が出ず「かけ声」だけで終わってしまったのだろう。
今回の答申を「かけ声答申」と呼びたいくらいだ。
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