35歳でメジャーへ、菅野智之は黒田博樹になるか 共通する変化球駆使の投球術 期待される活躍

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「黒田さんは広島でプレーしていた時は150キロを超えるシュートが特徴の投手でしたが、メジャーに挑戦した後はツーシーム、スライダー、フォークを多投して、シュートを右打者のひざ元に沈むシンカーにアレンジしていた。

菅野も器用な投手で色々な変化球を操れる。NPBとメジャーは球の大きさ、重さ、滑りやすさ、縫い目の高さが違います。ボールの違いに苦しむ投手がいますが、その点も問題ないでしょう」

日本のやり方にこだわらなかった黒田氏

黒田氏は広島に11年間在籍後、FA権を行使して2008年、33歳からメジャーでプレーした。ドジャースで4年、ヤンキースで3年を過ごし、2ケタ勝利を5度マーク。

ヤンキースに移籍した2012年は37歳だったが、その後3年間で投球回数200イニングを2度クリアし、16勝、11勝、11勝と先発ローテーションで稼働した。

2015年に広島復帰後も2年連続2ケタ勝利をマークし、2016年は25年ぶりのリーグ優勝に貢献。日米通算203勝を挙げた。

現役時代に米国で黒田氏を取材したスポーツライターは振り返る。

「黒田さんは考え方が柔軟でしたね。日本のやり方にこだわらず、メジャーで最先端のトレーニングに積極的に取り組んで年々若返った印象がありました。

米国に溶け込もうとする姿勢を見せる一方で、広島時代から持っていた忍耐強さは変わりませんでした。打線の援護がなく、白星がつかない時も黙々と投げて文句ひとつ言わない。

チームに対して献身的な姿勢を選手たちは見ていますし、信頼されていました。特にドジャースのクレイトン・カーショーと互いの存在をリスペクトしていたのは有名な話です。

メジャーで活躍する日本人投手のお手本のような存在でした」

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