関西人の筆者が大阪万博に抱く「正直な気持ち」 1970年の万博に小学生のときに行ったが…

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しかしテレビ局の手違いで、番組が始まった時点で、すでに開催地は「北京」と発表されていた。特別番組の総合司会だった桂三枝(現六代目桂文枝)が、絞り出すように「どうやら開催地はもう決まってしまったみたいですね」という始末。まさに赤っ恥だった。

こうして掘り返してみると、そのお粗末さに改めて驚く。例示はこれくらいにしたいが、1995年、大阪南港に本格開業したATC(アジア太平洋トレードセンター)などもそうなるだろう。御多分に漏れずテナントが続々退転し、2003年にOCATとともに経営破綻し、再建された。

大阪市役所前の「ミャクミャク」昨年、傷つけられたこともある(写真:筆者撮影)

こうした大阪府、市の「失敗物件」に足を踏み入れると、共通の感慨を覚える。建物は大きく、天井は高くて広壮だが、人の気配がほとんどない。飲食店なども少なく、従業員はいつも暇そうだ。そして、やたら背広を着た人が目立つ。こうした物件には、大阪府、市、外郭団体などのオフィスが入居していることが多く、その関係者が、ちらほら歩いているのだ。

万博誘致に至った経緯

1990年代以降の大阪府知事は中川和雄(在任1991~1995)、横山ノック(山田勇、1995~1999)、太田房枝(2000~2008)だった。

爆笑王と言われた横山ノックは、三人組の漫才「漫画トリオ」で売り出したが1968年に、タレント議員ブームの先駆けとして1968年の参議院選挙で当選、以後政治家とタレントの「二足のわらじ」を履き、その仕上げとして大阪府知事になった。ただノック知事は1999年の府知事選挙の最中に「強制わいせつ事件」を起こして辞任。2000年から通産官僚上がりの太田房江が知事になった。

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