関西人の筆者が大阪万博に抱く「正直な気持ち」 1970年の万博に小学生のときに行ったが…

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「ゲート(玄関)」と銘打っただけに高さ260m級のツインタワーが、関西国際空港連絡橋を挟んで南北にどーんと屹立するはずだったが、バブル崩壊の影響もあって「りんくうタウン」構想そのものが空中分解、そこで大阪府が「1本だけでも」と建てたのが連絡橋の北側に立つ今の「りんくうゲートタワービル」だ。

りんくうゲートタワービル(写真:筆者撮影)

オフィスやホテルが入るインテリジェントビルだったが、テナントはほとんど埋まらず、2005年には第3セクターの運営会社りんくうゲートタワービル株式会社が破綻し、民間企業グループが運営している。

「りんくうタウン」そのものは、2000年に開業した「りんくうプレミアム・アウトレット」が年間500万人を動員。インバウンドにとって飛行機に乗る直前に最後のショッピングを楽しむ名所になっているが、片方だけの「りんくうゲートタワービル」は閑古鳥が鳴いている。

「関西空港」ができて30年になるが、中高年の大阪人は空港連絡橋を渡るたびに「あのビルは向かい側にもう1本立つはずやったのや」といまいましそうに言うのである。

関空絡みでもう1つ思い出すのが「OCAT(大阪シティエアターミナル)」である。大阪ミナミ、湊町にできた商業施設で、当初は「空港に行く前に搭乗手続きができます」が売り文句だった。

しかし2001年の「9.11」以来、セキュリティが格段に厳しくなり、チェックイン機能はあっという間に廃止された。「何や、ここで搭乗券発券できるのと違うんかいな」とがっかりする人が続出。今は、高速バスのターミナルとしてそれなりに繁盛しているが、空港とは縁もゆかりもない施設になった。

苦境に陥っていた「大阪ドーム」

野球がプロパーの筆者がすぐに思い出すのは「大阪ドーム」だ。大阪球場、日生球場、西宮球場などからプロ野球チームが撤退し、球場そのものも閉場に追い込まれる中、関西財界と大阪府、大阪市が「大阪にもドーム球場を」と機運を盛り上げ、1997年に開場した。大阪近鉄バファローズが誘致され、球場周辺にはショッピングモールもできて、新しい街が生まれるか、と筆者なども大いに期待した。

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