関西人の筆者が大阪万博に抱く「正直な気持ち」 1970年の万博に小学生のときに行ったが…

✎ 1〜 ✎ 192 ✎ 193 ✎ 194 ✎ 195
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、バファローズは観客動員が伸び悩み、ショッピングモールの店舗も櫛の歯が抜けるように退店。苦境に陥った運営者の第3セクター株式会社大阪シティドームは、バファローズに「球場使用料の値上げ」を通告。すでに経営難に陥っていたバファローズは、これがとどめを刺す形になって、2004年オリックス・ブルーウェーブとの「合併」に踏み切る。ここから「球界再編」が巻き起こるのだ。

活況を呈する京セラドーム大阪(写真:筆者撮影)

この年11月、株式会社大阪シティドームは経営破綻するが、オリックスグループが「白馬の騎士」となってドームは存続。ネーミングライツもついて「京セラドーム」となり、昨年は観客動員が1試合平均で3万人を超す盛況となっている。

小さな施設ではあるが、忘れられないのが「なにわの海の時空館」だ。南港咲洲にあったドーム型の海事博物館だ。

まだ幼かった子どもと行ったことがあるが、建物の真ん中に実物大の木造船が展示されていた。江戸時代に江戸と上方を結んだ「菱垣廻船」だ。この船は1回だけ実際に海に浮かべて帆走させたようで、そのビデオも流れていた。それは確かに見もので、これ以外にも大阪の海運に関するさまざまな展示があったが、親子ともども「1回来れば十分」という施設だった。2000年にできたが年間60万人の観客動員のはずが、最大で20万人。これまた赤字続きで2013年に閉館となった。

「大阪オリンピック」招致のドタバタ

「大阪オリンピック」を巡るドタバタも記憶に新しい。2008年夏季五輪の招致をめざし、大阪北港の「舞洲」に一大スポーツ拠点「舞洲スポーツアイランド」を建設するとぶち上げた。

1996年には大阪府、市が「招致決議」を行い、大阪挙げてのオリンピック招致ではあったのだが、IOC(国際オリンピック委員会)の評価は低いまま。IOCは実質的な「辞退勧告」を匂わせた、と言われたが、なぜか大阪のお奉行たちは意気軒高だった。

2001年7月、モスクワで開かれたIOC総会で、2008年五輪の開催地が決まることとなった。大阪では、特別番組を組んで、現地発表を今か今かと呑んで待ち構えるはず、だった。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事