元公明党委員長への執拗な攻撃はなぜ起きた? 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史③

(写真:アフロ)
創価学会と故・池田大作名誉会長(2023年死去)の秘められた歴史が書かれているのが、高橋篤史著『創価学会秘録』だ。
本書は、極めて限られた関係者しか見られなかった2つの秘密資料をベースに書かれている。1つは、創価学会自らがまとめた「総合経過年表」と題する内部資料であり、もう1つは宗門(日蓮正宗)の高僧が書き残した通称「河辺メモ」と呼ばれる備忘録だ。
前者は、かつての中枢幹部にして弁護士、そして創価学会史上、最悪の反逆者となった山崎正友(故人)への対策資料として作られたものだ。
後者は日蓮正宗の総本山・大石寺(静岡県富士宮市)の第67世法主である阿部日顕(故人)の懐刀とされた有力僧侶、河辺慈篤(故人)による手書きの日記風備忘録だ。
この2つの資料に加え、筆者が公刊資料から裁判記録まで幅広く渉猟し、創価学会と池田名誉会長の実像に迫ったのが本書である。そのエッセンスを3回に分けて紹介する。
第1回は『「池田大作とは何者だった?」宗教界の巨人の実像』。第2回は『池田大作「専横」の起点になった山崎正友事件』。そして第3回の本稿は創価学会にとって最重要課題であった宗門・日蓮正宗との「宗門戦争」と山崎の学会への裏切り、そして山崎の裏切りが池田の恐怖支配を生み出し、2人の政治家への攻撃につながったことを記す。
第1回は『「池田大作とは何者だった?」宗教界の巨人の実像』。第2回は『池田大作「専横」の起点になった山崎正友事件』。そして第3回の本稿は創価学会にとって最重要課題であった宗門・日蓮正宗との「宗門戦争」と山崎の学会への裏切り、そして山崎の裏切りが池田の恐怖支配を生み出し、2人の政治家への攻撃につながったことを記す。
元公明党委員長への攻撃は恐怖支配から生まれた
1990年、創価学会と総本山・大石寺(=宗門)との緊張が高まる中、戦端を開こうと動いたのは後者のほうだった。
以下、「第14章 C作戦」から引用する。
七月十六日、(宗門有力僧の)河辺(慈篤)は(法主の)日顕から電話を受けた。
「最近、学会池田に関する投書(郵送、登山者持参)がどんどん来る。池田は最近おかしくなった。本部幹部会で池田が『財務も供養』と指導した。財務のために“保険解約”“預金下せ”“土地売れ”など強要じみた指導をしている。寺行くな、塔婆供養するなと指導している」
そして日顕はこう話した。
「重大決意をしようと思っている」
三日後に宗務院と内事部の主だったメンバーを集めて会議を行う考えだという。そこで河辺にも出席の要請をしようというのが、この電話だった。
次の日、創価学会との間では定例の連絡会議が開かれる予定となっており、すでに学会からは「僧侶の贅沢や虚栄心などについて言いたいことを言わせて頂く」との事前通告が入っていた。その対策のため今日のうちにも東京・西片の大石寺東京出張所で話し合いを持ちたいとも日顕は言い、河辺にそれへの参加も求めた。
午後三時の御開扉を済ませ、日顕はすぐに東京へと向かうという。会議は午後六時に始められることとなった。
こうして通称「西片会議」は開かれる。
まずその場に集まったのは法主の日顕、大石寺主任理事の八木(信瑩)、海外部主任の関(快道)、そして河辺の四人だった。
日顕は電話にもあった四通の手紙を見せた。「池田はダメ。池田はなおらない。池田を追放すべきだ」――。八木と関からそんな強硬な意見が出ると、日顕もそれに同調した。
トピックボードAD
有料会員限定記事
政治・経済の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら