高校中退後はしばらく祖父のもとで工房の手伝いをしていたが、ほどなくして母親がヨシツグさんら子どもたちを連れて家を出る。移り住んだ先は母親の実家のある街だった。慰謝料や養育費はなし。祖父がいくらか仕送りをしてくれたが、生活は苦しくなった。
そんな中でもヨシツグさんは通信制の高校と、専門学校を卒業。その後は小売店でパートとして働き始めた。一人暮らしをしながら彼女もできたという。一方で不眠やイライラ、希死念慮といったメンタル不調は依然として続いた。
精神科で抗不安薬などを出されたが、倦怠感などの副作用を抑える薬や別の薬を追加で処方されるうち、気が付くと1日15種類近い薬剤を服用していた。ヨシツグさんも「どの薬が効いているのか、どの薬の副作用が出ているのかわかりませんでした」と振り返る。
50メートル以上歩けない
薬漬け状態の中、自殺未遂を繰り返した。そして10年ほど前のある日、橋の上から飛び降りる。結果は両脚の複雑骨折と腰椎骨折など。1年間の入院の末、退院したものの、歩行障害と排尿障害が残った。今も50メートル以上歩けないので移動手段はもっぱら自転車。腰に激痛が生じるため同じ姿勢で座り続けることができないうえ、外出時はおむつが欠かせない。
一方で入院先の医療機関では処方薬の見直しが行われた。おかげで薬剤は3分の1に。また、さまざまな検査の結果、軽度の知的障害と境界性パーソナリティ障害があると診断された。退院するころには身体障害6級と精神障害2級の手帳を取得した。
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