「生活保護から抜け出せなくなる」38歳男性の絶望 「働きたいと願う障害者」の働く場所がない

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高校中退後はしばらく祖父のもとで工房の手伝いをしていたが、ほどなくして母親がヨシツグさんら子どもたちを連れて家を出る。移り住んだ先は母親の実家のある街だった。慰謝料や養育費はなし。祖父がいくらか仕送りをしてくれたが、生活は苦しくなった。

そんな中でもヨシツグさんは通信制の高校と、専門学校を卒業。その後は小売店でパートとして働き始めた。一人暮らしをしながら彼女もできたという。一方で不眠やイライラ、希死念慮といったメンタル不調は依然として続いた。

精神科で抗不安薬などを出されたが、倦怠感などの副作用を抑える薬や別の薬を追加で処方されるうち、気が付くと1日15種類近い薬剤を服用していた。ヨシツグさんも「どの薬が効いているのか、どの薬の副作用が出ているのかわかりませんでした」と振り返る。

50メートル以上歩けない

薬漬け状態の中、自殺未遂を繰り返した。そして10年ほど前のある日、橋の上から飛び降りる。結果は両脚の複雑骨折と腰椎骨折など。1年間の入院の末、退院したものの、歩行障害と排尿障害が残った。今も50メートル以上歩けないので移動手段はもっぱら自転車。腰に激痛が生じるため同じ姿勢で座り続けることができないうえ、外出時はおむつが欠かせない。

自転車に乗るヨシツグさん
歩くのは50メートルが限界というヨシツグさんの移動手段は自転車。今住んでいる街は雪が積もることもあり、冬場はどこに行くにもタイヤのスリップや車との接触といった危険と隣り合わせだという(写真:ヨシツグさん提供)

一方で入院先の医療機関では処方薬の見直しが行われた。おかげで薬剤は3分の1に。また、さまざまな検査の結果、軽度の知的障害と境界性パーソナリティ障害があると診断された。退院するころには身体障害6級と精神障害2級の手帳を取得した。

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