「情報を手放して仮説を立てる」が現代で有効な訳 データを入手すると何かを得た気になるだけで終わる

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何か閃いた様子の男性
データという手触りのあるものが手に入ると、それで、何かを得た気になり、安心してしまう(写真:kou/PIXTA)
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』はじめ、編集者として数々のヒット作を生み出してきた佐渡島庸平氏は、「仮説は最強の道具」だと説きます。本稿では、同氏の最新著書『観察力を高める 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか』より一部抜粋のうえ、観察力の鍛え方をご紹介します。

偉大な発見の「はじめの一歩」はシンプルな問いだった

観察をしようとするとき、「認知バイアス」「身体・感情」「(時空間の)コンテクスト」が観察を邪魔する。僕はそれらをまとめて、「メガネ」と呼んでいる。人は「メガネ」をかけてしか対象を観られないのであれば、そのメガネを意識的にかけかえればいい。

その「意識的なメガネ」というのが「仮説」だ。観察とは、仮説と対象のズレを見る行為だ。古代ギリシアの哲学者ゼノンが提示したパラドックス、「アキレスと亀」の中で、俊足の英雄・アキレスはどんなに頑張っても一生、亀に追いつけない。

アキレスがその地点に着いたときに、亀はそこからほんの少し進んでいるからだ。このように仮説と対象はぴたりと一致することがない。限りなく近づくけれど、仮説と対象はどこまでもズレている。

いい観察が行われると、問いが生まれ、その問いから仮説が生まれる。そして、次の新しい観察が始まる。その繰り返しによって、対象への解像度は上がっていく。

ニュートンが、リンゴの落下から万有引力を導き出したというエピソードを、なぜ僕は伝説などではなく、真実だと思えるのかの理由もここにある。

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