軍政権の弾圧を生き抜くミャンマー医療者の過酷 来日した著名医師が日本の市民に訴えたこと
私は2024年2月にミャンマーに入国し、チン州を目指して隣のザガイン管区カレーミョにたどりついた。
残念ながら山岳地帯のチン州は戦闘が激しく、入ることができなかったものの、カレーミョで人口の大多数を占めるチン族の様子を目にすることができた。
食料はおそろしく高騰していた。揚げパンであるパウシーチョ1つで7500チャット(日本円で約540円)。外食で夕食を済ますとなると、あっという間に10000チャット札5~7枚が飛んでいく。クレジットカードなど他の支払い方法は政府に管理されていて使いにくいため、だれもが現金主義だ。紙幣の価値は著しく低く、現地の人たちの財布は10000チャットの束ではちきれそうになっていた。
「金持ちに見えるだろう」と冗談を言われたが、笑えない現実を感じてしまった。
学校が軍に接収されて通えないため、子どもたちはもっぱら家で過ごすか町に働きに出ていた。あるレストランでは、中学生や小学生に見える子どもたちが切り盛りしていた。おそらく家の働き手が民主派として戦闘に参加しているか、あるいは逃走しているためだろう。
チン族の大多数はカトリック教徒なので、日曜日には多くの人たちが教会に集う。現地ではコメが不足していたため現地の教会で配給が行われていた。ザガイン管区に住むチン族については、教会や宗教のサポートが大きいように感じた。ミサに集う仲間と連帯することで、3年以上に及ぶ戦火を何とか生き抜いていた。
国際的な関心の継続がカギ
京都講演の話に戻ろう。シンシアマウン氏は最後に日本へのメッセージを残した。
「日本は長い時間をかけて政府開発援助(ODA)や人道支援などを通じて多くの若者に持続可能なスキルを身に付けさせてくれました。私たちはそのことに感謝をしています。しかし今、軍事政権は国民に多くの犠牲を強いています。求めてばかりで本当に申し訳ないのですが、今一度、国境を越えた人道支援が必要です」
そして、メータオ・クリニックが長い時間をかけて行ってきた活動への継続的な支援を呼びかけた。
「私たちはタイを経由して活動しなければなりません。国境を越えて祖国に支援をすることは非常に困難です。この状況を打破するためにも、タイおよび日本政府が緊密に連携してほしい。日本には戦争や洪水の影響下で苦しんでいる人々に対し、より多くのサポートができる力があると信じています」
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