意外と驚かれた「ベネトン」が日本撤退に至るまで 80年代に一世を風靡したブランドの栄枯盛衰

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創業者のルチアーノ・ベネトンは、1935年にベネチアに近い北イタリアの小さな町、トレヴィーゾで生まれた。戦後の北イタリアでは繊維産業が盛んになり、妹のジュリアナがニット工場で働いていたこともあり、1955年にニットウェアの生産と販売を開始した。

1965年にベネトンのニットウェア工場の操業を開始し、1968年に北イタリアのモンテベルーノに1号店をオープン。アンゴラ混の毛足の長い12色のカラフルなニットは瞬く間に評判となり、翌年には海外1号店をパリにオープンした。

多様性を訴えた広告キャンペーン。左は創業者のルチアーノ・ベネトン(写真:©︎Benetton Group)

1980〜90年代に時代をリードしたものの…

1980年代には輸出を大幅に拡大。1978年に2%代だった輸出比率は、1986年には60%にまで成長した。日本には1982年に進出し、西武百貨店と契約。前述の遠藤嶂氏は、西武百貨店の初代ミラノ駐在部長で、ベネトンはもちろん、ジョルジオ アルマーニ、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ドルチェ&ガッバーナなどの錚々たるイタリアブランドを最初に日本に紹介した傑物である。

1985年のジャパン社の設立後は、バブル景気、インポートブランドブーム、チームを所有していたF1ブームなどの波に乗り、イタリアらしい色彩と買いやすい価格帯で若者たちの間で人気を集めた。また、写真家のオリビエーロ・トスカーニによる広告キャンペーンは、数々の話題、議論を呼び、多様性やジェンダーレスを訴える先駆けとなった。

オリビエ・トスカーニが撮影した1985年の広告「Flags](写真:(©︎Oliviero Toscani))

しかし90年代半ばになると、ミニマルなモードや、ストリート系のファッションに人気が集まるようになり、底抜けに明るい80年代的なベネトンのクリエーションは時代に合わなくなってきた。

2010年代に入ると業績はいよいよ低迷し、2012年には創業者のルチアーノ・ベネトンは代表を退任し、息子のアレッサンドロ・ベネトンを後任に指名。2014年には一族以外から初めてフランチェスコ・ゴーリをエグゼクティブ・プレジデントとして迎え入れたが、業績は回復しなかった。

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