「小学校を3カ月で辞めた」エジソンの驚く勉強法 牧野富太郎や森毅ら偉人たちの学習法を紹介
先に勉強しすぎて、ちょっと退屈してしまったのかもしれませんね。しかし、それでも牧野は、年を重ねてから理学博士の学位も得てしまうという快挙を成し遂げています。一体、どんな学問で認められたのでしょうか。
牧野は、高知県の豊かな自然のなかで生まれたこともあり、幼少期からとにかく植物が大好き。家の裏手にある山に登っては、植物を採って観察する日々を過ごします。牧野はそんな体験を積みながら、『本草綱目啓蒙』という植物の本に夢中になりました。
「私は、いつもこの本をひっくり返して見ては、いろいろな植物の名をおぼえた。当時は実際の知識はあるが、名を知らなかったので、この本で多くの植物の名を知ることができた」
牧野は19歳のときに、顕微鏡や書籍を購入するため上京。同行者とともに、汽船や徒歩によって、神戸や京都、四日市などを経由しました。道中で珍しい植物があれば、茶筒に入れて故郷に送り、植えてもらっていたとか。
21歳で2度目の上京を果たすと、東京大学理学部植物学教室に出入りして植物学に没頭。生涯をかけて収集した植物標本は、なんと約40万点! 描いた植物図は約1700点にも。好きに夢中になることで、牧野は「植物分類学」という学問の扉を開いたのです。
ちなみに、牧野は18歳頃に植物研究に対する心構えとして、次のように記しています。
「忍耐が必要」
「精密さも必要」
「植物を大量に観察する」
「できる限り多くの本を読む」
「英語の本を読む」
「植物を描くための画力をつける」
「師匠を持つ」
「研究費を惜しまない」
「植物を学ぶ仲間と交流する」
などなど……。地道に一人で学びながらも、時には同志や師と交流して気づきを得る、ということでしょう。心構えは自分の行動規範となり、また学んでいくうえでの指針にもなりそうです。
「私は植物の精である」
学校をサボるルールがあった数学者の森毅
独学で大きく羽ばたいた偉人のなかには「学校という環境が合わなかった」という人が少なくありません。
数学者の森毅は、中学生になってから、学校をたびたびサボるようになりました。どうも軍事訓練に嫌気がさしていたこともあるようです。
そんな息子を見ても、お父さんは「学校に行け」とは言わなかったそうです。サボってもいい代わりに、2つの条件が出されました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら