ミキオさんがこの貧困ビジネス業者と出合ったのは3年前の冬。寒空の下、東京の上野公園で時間をつぶしていたときのことだ。近寄ってきた中年男性から「住むところ、あるの? なかったらあるよ。生活保護も受けられるよ」と声をかけられた。
中学を卒業してからずっととび職として働いてきたミキオさん。このときは15年以上、正社員として働いてきた土木建築会社をクビになったばかりだった。
ミキオさんは「仕事は好きでしたよ。年収は400万円くらいで、親に仕送りもしてました。東京オリンピック関連の現場にかかわったこともあります」と誇らしそうに振り返る。
ただその会社は異常な長時間労働だった。「早朝から夜10時までということも珍しくなかったです。人が足りないと言われると、断れなくて。3カ月近く休みがなかったこともありました」とミキオさん。激務に加え、緊張を強いられる現場では人間関係はすさみがちだ。ささいなことで親方と言い争いになり、そのままクビを通告されたのだという。
不当解雇ではないか。私がそう指摘すると、ミキオさんは「でも、今度喧嘩をしたら解雇という約束だったので」と言葉少なに語る。
貧困ビジネスの被害者に
クビになった後は社員寮を追い出され、親戚宅に身を寄せていたが「なんとなく気まずくなって」家を飛び出した。すぐに所持金は尽き、ネットカフェなどで寝泊まりするのも厳しくなっていく。男に声をかけられたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
男はミキオさんの不安に付け込むように「お風呂もあるよ。お酒も飲めるよ。家具も食料もあるよ」と畳みかけてきたという。
当時、生活保護という制度を知らなかったミキオさんは男に尋ねたが「教えるとみんな嫌がるから」とはぐらかされてしまう。男は翌日早朝の集合時刻と場所を伝えると、周囲にいた路上生活と思われる人たちにも声をかけ始めた。翌朝、集合場所にはミキオさんを含めた数人が現れた。
ミキオさんたちはワゴン車で東京郊外のマンションに連れていかれ、「待機部屋」と呼ばれる一室に収容される。1週間ほど雑魚寝状態が続き、その間、1日500円と袋めん2つが与えられたという。その後、今度は東京23区内の施設に入居させられ、その足で生活保護の申請に行くよう指示された。
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