国立の研究開発組織であり、日本で唯一の自然科学の総合研究所として知られる理化学研究所(理研)。この春、ある30代の研究者(以下、A氏)が理研を去り、中国の大学に移籍した。
A氏はこれまで、東京大学総長賞、文部科学大臣若手科学者賞を受賞したほか、とくに優れた若手研究者が政府から支援を受けられる卓越研究員への採用、英国の名門科学誌・ネイチャーへの論文掲載と、若くして数々の実績を上げてきた逸材だ。それほどの人物が、なぜ日本から出ていったのか。
事情に精通する複数の理研関係者への取材から見えてきたのは、権力を握る重鎮の研究者が若手研究者の自由な研究活動や論文発表を阻む、アカデミックハラスメント(アカハラ)の問題だ。その背景には日本独特の「講座制」による、研究者間での強い上下関係がある。
若手研究者が論文を書いて科学誌などに出したくても、重鎮の研究者から待ったをかけられ、2年、3年以上も塩漬けにされる――。
A氏も、A氏の周辺でも長らく、そんな状況が続いていた。やがて、A氏の我慢は限界を迎えることになる。
しぶしぶ受けたオファー
A氏は2013年4月に理研に入った。理研は2016年に有期雇用の期間の上限を通算10年までとするルールを設けたため、以降、A氏は2023年3月末を更新の上限とする1年契約を毎年結ぶ形での雇用形態になった。
2017年の終わりごろ、一つの転機が訪れる。重鎮の研究者のB氏に、2018年10月から研究主宰者(自分の研究室を持てる立場)であるユニットリーダーのポストに就いて卓越研究員にならないか、と勧められたのだ。
卓越研究員は、文部科学省が審査したうえでとくに優秀な若手研究者を選抜・認定し、安定かつ自立して研究を推進できるよう、国が雇う側に研究費用を支援する制度だ。
ただ、理研のこのポストで卓越研究員になるには、公募条件として7年の任期が必要だった。A氏の場合、2023年3月末までの残りの雇用期間は4年半しかない。だが、B氏からは口約束で「この話を受ければ(公募条件の7年に近い)2025年3月末までの6年半は理研で研究をできるようにする」ともちかけられた。
B氏は理研で副センター長を務めると同時に、東京大学から専門分野においてとくに優れた業績を挙げ先導的な役割を果たしているとして「卓越教授」の称号を授与された権威だ。A氏の学生時代の指導教官でもあった。A氏は、気は進まなかったが断ることも難しくオファーを承諾した。
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