プロになった「羽生結弦」の背中を押し続けるもの 変化と進化を続けるアスリートの次の挑戦
記憶よりも、かなり幼い表情
サッカーや野球に比べて、フィギュアスケートは、年間の出場試合数がそれほど多くない。世界トップレベルで戦う選手なら、出場するのは年間6~7試合くらい。そのため、フィギュアスケートを取材してきた私は、「○○年のあの大会」といったらすぐに、羽生の順位やおおよその演技内容、印象的なシーンを思い出すことができる。
それなのに、本書のページをめくるたびに、静かに揺さぶられ続けた。「あれ、このとき、こんなふうに笑っていたんだっけ」とか「記憶より、かなり幼い表情をしているなあ」とかいうふうに。
2014年ソチ五輪で優勝したときも、2015年NHK杯で世界最高得点を更新したときも、羽生の表情は、記憶よりもかなり幼い。記憶とは、時の経過とともに変化していくものではあるけれど、それにしても幼く見える。それは裏を返せば、まだ表面的には幼さや青さを感じさせる年齢だったにもかかわらず、それ以上に深く、強く、大人だという印象を残してきた、ということなのかもしれない。
仙台出身の羽生は、2011年、16歳のときに、東日本大震災で被災した。震災当初は、スケートを続けることに迷いもあったけれど、「元気に滑るところを見てもらい、少しでも力になれたら」とスケートを続けていく。
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