佐賀の不平士族たちは、大久保の巧みな罠によって「やらなければ、やられる」という感情に追い込まれていったといえるだろう。佐賀軍の首領となったのが、江藤と佐賀藩士の島義勇である。
熊本鎮台兵の装備が貧弱だったため、緒戦において佐賀勢が勝利を飾った。決起軍は意気揚々と佐賀城に凱旋を果たす。江藤は全国不平士族への激文を起草し、発布しようとしていた。しかし、これがピークであった。
危険を顧みずに指揮した大久保
19日には、大久保が率いる征討軍が九州各地に勢ぞろいする。東京、大阪、広島の各鎮台兵が、イギリスからチャーターしたカント号やアメリカの船ニューヨーク号を含めて15隻で運ばれてきた。
兵力で圧倒した政府軍は、二手に分かれて佐賀県内に進軍。小銃を豊富にもつ征討軍を前に、弾薬も尽きはてた佐賀軍では太刀打ちできなかった。政府軍は呆気なく反乱軍を鎮圧している。
このときに戦場に入った大久保の果敢な姿を、随員の米田虎雄はこう振り返った。
「飛んでくる弾丸を少しも恐れず、その豪胆さと沈着ぶりに驚いた」
この証言がどこまで信憑性があるかはわからない。だが、大久保は少なくとも後方でふんぞりがえるようなリーダーではなかったことは確かだ。のちに暗殺の予告がなされても、護衛をつけなかった大久保らしい肝の据わり方である。
23日、江藤が一方的に敗北を宣言し、28日には戦争は終結することになった。
反乱の鎮圧に成功した大久保は、佐賀城に入ると、まず江藤の遺体を探したといわれている。これまで江藤と衝突してきた大久保だからこそ、その性格はよくわかっている。敗戦濃厚となれば、そのプライドの高さから、割腹自殺をしたに違いないと考えた。
だが、江藤の遺体は見つからなかった。その頃、江藤は佐賀から脱出し、鹿児島へと向かっていた。その目線の先には、西郷隆盛、その人がいた。
(第43回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』(講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家(日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』(ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵”であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)
松尾正人『木戸孝允(幕末維新の個性 8)』(吉川弘文館)
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』(講談社選書メチエ)
鈴木鶴子『江藤新平と明治維新』(朝日新聞社)
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