東京五輪は有観客での開催が検討されている。「専門家」と政治家の見解の違いが際立つ場面もあった。だが、どの議論を見ても明確な科学的根拠や証拠は国民に示されず、政府の開催への強い意志だけが伝わってくる。
どの専門家の見解がより信頼に足るか。専門外の素人は判断の基準を持たない。それでも、専門家が認める学術誌に掲載されたか、信頼に足る専門家がお墨付きを与えているか、結論に至る手続きを明示しているか、などの透明性が確保されれば、根拠の見えにくい見解と根拠を明示した見解の区別はできる。
私が住む英国では6月21日に予定された規制緩和策を延期することが決まった。発表時には、専門家の見解が最新のデータとともに示され、それを参考に政治的決定が下されたことが伝えられた。
それでも誤りは生まれうる。専門家間の見解の相違も、政治家間の受け取り方の違いもある。だが少なくとも情報の透明性という点では、そこでの議論は、誰もがアクセスできる根拠となる「事実(facts)」を伴う。それを間に置いた議論は、相互にかみ合っているように見える。議論の参加者が、少なくとも自分の主張には根拠づけが必要なことを共有しているからだ。根拠の信憑性や解釈をめぐる議論は起こるが、根拠のない主張は受け入れがたい。いわば根拠に裏付けられた主張によって相手を説得する議論である。その後の検証もそれゆえ可能になる。
科学性と論理の徹底を前提にした英国を賛美したいのではない。それとは対極に見える日本で、どのようなコミュニケーションが働いているかを明確にするための比較材料として例示した。
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