[Profile] きょ・えいちゅう/1947年大阪府生まれ。在日韓国人2世。大阪工業大学中退。大学在学中から不動産や建設などの事業に関わり、在日同胞や極道関係者の人脈を培う。91年イトマン事件、2000年石橋産業事件で逮捕。現在はソウルで介護や都市開発などに携わる。
戦後最大の経済事件といわれる「イトマン事件」で逮捕された許永中が自身の半生を綴(つづ)った自伝である。
許永中が語る戦後からバブル期までの日本は、現代のような漂白された潔癖な社会ではなく、政、財、官と裏社会が分かちがたく深く結びついた社会である。良しあしは別にして、混沌としながらもエネルギーに満ち溢(あふ)れ、どこか生臭いにおいのする社会が、つい数十年前までこの国に存在していたのだ。
許永中は大阪市の一角に生まれる。被差別部落と在日朝鮮人部落が混在する町であったという。
父は寡黙で、漢方薬の調剤を生業とする「先生」であり、漢籍を愛読する知識人であった。
父は年に数回、癇癪(かんしゃく)を起こし手がつけられなくなることがある。これは許永中の父に限らず在日朝鮮人の男たちの多くがそうであったようだ。当時は在日朝鮮人への差別があからさまで、貧しさと差別の中で、やるかたない憤怒が蓄積していたのであろう。
そんな境遇で育った許永中だが地頭がよく、学校の成績は優秀であった。しかし、手のつけられない「ごんたくれ(わんぱく)」で、喧嘩に明け暮れる不良少年へと成長していく。大学に進学するも、ここでも喧嘩続きで、次第にヤクザ社会との接点を持っていく。
本書はさまざまな読み方ができる。例えば、ヤクザ社会の歴史書として。許永中が関わったヤクザたちの一部を見るだけでも、彼がヤクザの歴史の生き証人であることがわかる。
「殺しの軍団」と恐れられた柳川組の柳川次郎や幹部たち。明治時代から現代まで続く酒梅組。「経済ヤクザ」のはしりといわれ、後に射殺されることになる生島久次など、そうそうたる顔ぶれだ。
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