今回から数回は番外編として、2019年9月、外務省関連団体からの招待で、ロシア国内で講演、研修を行った際に訪れた地方都市の話をしよう。ロシア、それもモスクワやサンクトペテルブルクのような大都市ではなく、地方都市を回る機会はそうそうあるものではない。
今回の旅で最初に訪れたのが、ロシア連邦西部にあるカリーニングラード州の州都、カリーニングラードである。この地域はポーランドとリトアニアに囲まれた、ロシアの「飛び地」だ。バルト海に接する港湾都市で、人口は約44万人に上る。
かつてケーニヒスベルクと呼ばれたこの街の歴史は、1255年ドイツ騎士団による街の建設から始まる。ハンザ同盟に所属して貿易都市として栄え、15世紀の初頭からはポーランド王国の従属地となるが、1701年プロイセン王国がこの地に建設され、ドイツの中心都市となっていく。哲学者のカント、数学者のオイラー、建築家のブルーノ・タウトなど、ドイツを代表する多くの学者、文化人がこの街に生まれている。
だがその後もこの街は世界情勢に翻弄され続けることとなる。第1次世界大戦の終結後、西プロイセンはポーランド領となり、ドイツにとってケーニヒスベルクは「飛び地」となってしまう。
第2次世界大戦でヒトラー率いるドイツ軍のポーランド占領によって飛び地は解消。しかし1944年8月、英国軍による度重なる空爆により街の機能のほとんどが破壊される。45年1月にはソビエト連邦軍が侵攻、ポツダム宣言によってソ連領となり、街の名も現在のカリーニングラードとなる。
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