三重県松阪(まつさか)市は三重県のほぼ中央部に位置し、東は伊勢湾、西は奈良県に接する、東西に長い人口約16万人の街である。
この街は1588年(天正16年)に蒲生氏郷(がもううじさと)が開いたとされる。蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将として名高い。氏郷は松ヶ島という地の12万石の大名となり、松ヶ島の「松」と秀吉の本拠地大坂の「坂」を合わせて、この地の名を松坂としたといわれる(明治時代の町制施行時「松阪」に変更)。したがって「松阪」という地名は「まつざか」ではなく「まつさか」と読む。
松阪といえば、世界的な肉牛ブランド「松阪牛」を思い浮かべる人は多い。松阪牛の起源は、江戸時代にこの地域の農民が農作業用に購入していた、但馬国(現在の兵庫県北部)生まれで紀伊国の紀の川流域で育てられた雌牛だという。ここの牛は農民から大事に育てられ、またよく肥えていたことから、幕末、神戸の居留地に住む外国人に好んで食べられるようになった。
明治になると、十数頭の牛を引き連れて東京に売りに行く山路徳三郎(やまじとくさぶろう)の「牛追い道中」などで松阪の牛は有名となり、東京の料理店で牛の扱い方を学んだ松田金兵衛が地元松阪で「和田金」という精肉店を経営するようになる。伊勢神宮への参宮経路に当たることから、松阪牛を使った料理店は大いに繁盛した。松田の「よい牛しか扱わない」方針はやがて松阪牛を世界の高級和牛ブランドへと昇華させていく。
豪商三井家発祥の地
世界的に有名な松阪牛に比べて地味で意外と知られていないのが、松阪が「三井家発祥の地」であることだ。三井家の祖先は近江の地方官だったといわれ、戦国時代には六角(ろっかく)氏に仕えた。5代目の高安(たかやす)は三井越後守を名乗るが、六角氏は織田信長によって滅ぼされ、高安は松阪に逃げ延びる。ちなみにやはり六角氏の家臣だった蒲生賢秀(かたひで)(氏郷の父)はこの戦いで信長の家臣となり、氏郷の代でこの地を治めることとなる。
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