──リオ五輪の閉会式、次の東京五輪のPR映像でも「ドラえもん」は重要な役で登場しましたね。
作者の「藤子不二雄」とは藤本弘(後に、藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(同、藤子不二雄A)の合作ペンネーム。『オバケのQ太郎』でブレークしました。ただ僕が2人の「藤子スタジオ」に弟子入りした1973年にはもう合作はやめていて、ドラえもんは藤本先生と僕のほぼ2人で描いていました。
──ドラえもんの詳細はチーフアシスタントさんが決めたとか、いろんな裏話が出てきます。案外そんなノリで進めていくものなんですか? 手が回らないときは助っ人を呼んで代筆を任せるとか。
話の流れで重要な設定はもちろん先生が考えます。でもストーリーに直接関係ない属性は、勝手にやってという感じ。「ジャイアン」の本名「タケシ」も僕の名前。最初ジャイアンはジャイアンで通してた。名前をつけて同名の子がいじめられたらかわいそうだから、と。でもそのうち、「何でジャイアンだけ名前がないんですか?」って子供たちから投書が来た。それで急きょ、隣で手伝ってた僕の名前と誕生日が使われました。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け
無料会員登録はこちら
ログインはこちら