長野県上高井郡小布施町は面積19平方キロメートル、人口1万人余りの小さな街だ。街の西側に千曲川が流れ、川に沿うように上信越自動車道や北陸新幹線が走る。
この小さな街は、観光関係者の間では「小布施」と聞いて誰もが知るほどに有名な街となっている。その名声は、街の人々の「よそ者」を受け入れるたぐいまれな気質と、街をよくしていくためにつねに変化と向き合っていこうという柔軟な姿勢の産物といえる。
小布施が観光の街となったきっかけは、幕末の豪商、高井鴻山(こうざん)が当時の一流の文人だった葛飾北斎や佐久間象山らを招き、もてなしたことにさかのぼる。
北斎が晩年の4年間を小布施で過ごしたことから、1976年に同氏を祭った「北斎館」をオープン。さらに街は「日本のあかり博物館」や「現代中国美術館」など12カ所にも及ぶ美術館や博物館を整備し、年間50万~60万人の来観客を数えるに至っている。
このほかにも小布施町は87年に「街並み修景事業」を立ち上げ、街中に点在していた「小布施堂本店」や「桜井甘精堂」などの有力菓子店を集約。観光客が散策しやすいようにした。今でいうコンパクトシティの発想である。
さらにこの街を全国のスターダムに押し上げたのが、94年にふらっとやってきたセーラ・マリ・カミングスという米国人女性だ。彼女は91年に関西外国語大学に交換留学生として来日。旅をしていた彼女をとりこにしたのが小布施の街だった。そして彼女の発想と行動力を高く評価したのが、小布施堂と「桝一市村酒造場」の社長を務めていた市村次夫氏である。
セーラさんは街にやってくると同時に小布施堂に入社。地元の人間ではありえないようなアイデアを連発する。特に話題となったのが、98年の長野五輪終了後、北斎館に「第3回国際北斎会議」を誘致したことだ。第1~2回はイタリアで開催されており、当時1万2000人しかいなかった小さな街で国際会議を開催しようというアイデアは日本中を驚かせた。
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