「おきのしま」と聞いて、正確に島の位置を言える日本人は意外と少ない。特に関東の人間にはなじみが薄く、小笠原諸島に属する「沖ノ鳥島」と間違えるか、九州の北方の玄界灘に浮かぶ「壱岐島(いきのしま)」と混同する人が多い。
隠岐の島は島根県の島根半島の北、隠岐海峡を挟んだ北緯36度の日本海に位置する。隠岐の島といっても一つの島ではなく、「島前(どうぜん)」と呼ばれる知夫里(ちぶり)島、中ノ島、西ノ島の3島と、隠岐諸島の中で最も面積の大きい「島後(どうご)」の四つの島を中心に構成される群島だ。
隠岐の島の歴史は古く、縄文時代から人が住む。『古事記』の「因幡の白兎」にも登場し、当時の土器や石器が多く見つかっている。
後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された島としても有名だ。後鳥羽上皇は中ノ島に流され、60歳で崩御するまでの19年間をこの島で過ごした。後醍醐天皇は西ノ島に流され、約1年半後に島を脱し、南北朝時代の主役となった。
今回紹介する隠岐の島町は、隠岐の島諸島の「島後」にある街。2004年10月に西郷町、都万(つま)村、五箇(ごか)村、布施村が合併してできた。面積は241平方キロメートル、人口は約1万5000人である。
島後は水産資源に恵まれ、近海で取れるアワビやサザエ、トリ貝などの貝類、ブリやタイ、松葉ガニなどは、その多くが本土にも運ばれ、珍重されている。
街のもう一つの特徴が観光資源である。島内には古代から建立されてきた多くの神社が残り、歴史好きにはたまらない。また、自然資源も豊富。島周辺は多くの断崖絶壁に囲まれ、13年9月にはユネスコの「世界ジオパーク」にも登録されている。この島は中国地方では唯一の黒曜石の産出地でもある。黒曜石は旧石器時代から石器の材料として使われていたものだ。
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