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ビジネス #物流危機は終わらない

ヤマトは「宅急便の父」を乗り越えられるか 中興の祖・小倉昌男氏の理念

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ヤマト運輸中興の祖であり、宅急便の父。ヤマトの歴史を語るうえで欠かせない存在が、創業家出身で1971年から87年まで2代目社長を務めた小倉昌男氏だ。76年の宅急便開始時に小倉氏が生み出した「サービスが先、利益は後」という言葉は多くの人に知られている。

晩年は福祉財団で障害者支援にいそしんだ小倉氏。監督官庁と戦う闘士としても知られた(東洋経済写真部、1988年4月撮影)

吉野家のビジネスにヒント

今でこそ宅配便市場において半分近くのシェアを握り、物流業界を代表する規模になったヤマトだが、小倉氏が社長に就任した当時は深刻な経営危機に陥っていた。

戦前、小倉氏の父である小倉康臣氏は「大和便」と称する小口積み合わせ運送で関東一円にネットワークを築いた。これが会社を発展させる基礎になった一方で、ヤマトは長距離・大口輸送の分野に出遅れていた。そこで小倉氏は父を説得し、取締役営業部長として大量の貨物を取り扱う大口荷主の開拓に経営の舵を切った。

しかし、長距離・大口輸送への過度な傾注は採算悪化を招いた。運輸省(現国土交通省)が定める認可運賃は重量が大きくなるほど単価が安くなる仕組みだったためだ(注:運賃はその後届け出制に変更)。73年に発生した第1次石油ショックによる荷量の急減も追い打ちをかけた。後に小倉氏は著書の中で「(長距離・大口輸送への進出は)誤っていた」と述べている。

商業貨物市場から個人宅配市場へ。今や年間約18億個を取り扱う宅急便が生まれたのがこのときだ。メニューを絞り込んだら利益が上がった吉野家のビジネスモデルや、自らの家庭で主婦のニーズを感じたことなどに小倉氏はヒントを得た。

輸送経路や安定した需要がある商業貨物に比べ、宅急便が狙う市場は輸送経路がバラバラで需要も不安定だ。小倉氏が宅急便を始めると言った際、役員全員が反対したという。

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