4月7日号の本欄に寄稿した「デジタル革新とGDP」で、デジタル技術が生み出す新サービスは経済厚生を大きく高める一方、無料ないし著しい低価格で供給されるためGDPの増加にはあまり寄与しないと論じた。今回は、その続きを少し考えてみよう。
この問題は、もともと生産性上昇の鈍化を強調する米ノースウェスタン大学のゴードン教授らの主張と、デジタル技術革新を重視してGDPが生産性上昇を反映できていないとする米マサチューセッツ工科大学のブリニョルフソン教授らの主張の対立に端を発するものだった。筆者の主張は後者に軍配を上げるものだが、ここ数年の経済学界では前者の低成長を重視する見方が主流だった。それは、サマーズ元米財務長官が低金利や賃金上昇の鈍さを指摘して、低成長と需要不足を強調する長期停滞論を展開し、多くの識者の支持を得たからだ。
では、筆者はこのサマーズ氏らの議論にどう応じるのか。答えは簡単である。新しいデジタルサービスが消費者の満足度を高めても、大部分が低価格で提供されるなら、金銭的対価が払われるのはその一部にすぎない。そして当然ながら、金利や賃金などはこの金銭的対価の中から分配されるのだ。そう考えれば、低金利が続き賃金上昇が鈍いからといって、経済厚生で測った生産性上昇率が鈍化しているとは限らない。まして総需要の不足を証明するものではない。
思えば、情報をコピーする限界費用はゼロだから、情報財からは十分な対価が得られないことは、「情報の経済学」の分野では古くから知られていた。だから、新発明には特許権の付与が必要だとされていたのだ。しかし、IT革命初期のウィンテル時代には、OSもCPUも有料で販売できただけでなく、ネットワーク外部性による独占力から米マイクロソフトやインテルは巨額の利益を得た。
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