バブル景気の1980年代は、実は財政再建がそれなりに進んだ時代だった。好景気による税収増で、赤字国債の発行が不要になった。しかし、バブルが崩壊した途端に、景気を下支えしようと一転して積極財政に変わった。政府債務残高が右肩上がりで増えていき、今日に至る「借金大国」に変貌したのが、90年代の日本だった。
この積極財政の中心にいた政治家が元首相の宮澤喜一さんだった。伝統的なケインジアンであった彼は、首相時代に当時としては異例だった10兆円超の経済対策を行い、以後の大型公共投資の先鞭をつけた。
80年代半ば、私は宮澤さんと雑誌の企画で対談したことがあった。そのとき私に「資産倍増」なんて構想を言い出したのを覚えている。池田勇人の所得倍増計画にちなんだのか、財政出動の役割をやたらに強調していたことを覚えている。大蔵省(現財務省)の出身者で、これだけ行け行けドンドンな人も珍しいと思った。
彼を「遅れてきた高橋是清」なんて称した人もいた。私に言わせれば財政悪化を主導した人だね。その宮澤さんを再び担ぎ上げた人が90年代後半の小渕恵三首相だった。自分自身を「借金王」と称した小渕さんは、宮澤さんと組んで国債発行額30兆円を掲げて、歴史的大盤振る舞いの景気対策を打った。
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