「あの……、右足首を捻挫しているので、今日は見学させてください」
「何! おい君、それはチャンスだ。左半身と上半身を鍛えるチャンスなんだ。見学などしなくていい。まず、そこで右足を使わず腕立て伏せをしておけ」
これは私が日本体育大学の1年次、ある学生と教授がレスリングの授業中に交わした会話である。教授はミュンヘンオリンピックの元日本代表選手で、長女と二女が共にレスリング世界選手権のチャンピオン、長男も総合格闘家として並外れた成績を残している。
日体大の授業は1日に4時限あり、午前2コマ、午後2コマだった。講義よりも実技が多く、ひどいときは1日のすべてが実技だった。朝からサッカー、レスリング、昼食を挟んで野球、柔道をこなし、それが終わると自分の所属する運動部の本練習が始まる、といった具合だった。疲れ切って寮に戻ると、その後は学年が一つ違うだけで奴隷、平民、貴族、神様と扱いが変わる、体育会特有の生活が待っていた。奴隷の1年間は本当にきつかった。
いくら10代の体育大の学生でも、こんな生活を平気で続けられない。誰もが何とか体力を温存しようと、単位が取れる限界まで授業をサボり、出席しても見学の可能性を探る。
右足首の捻挫を訴えた学生は、前の授業でサッカーをしていたので完全なウソだったが、教授は至って真剣で、学生の言うことをみじんも疑わなかった。そして、腕立て伏せができなくなると、またもや「今は君にとってチャンスだ」と言いながら、「腹筋各種」「背筋各種」「片脚スクワット」などを延々とやらせていた。
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