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政治・経済・投資 #平成経済の証言

日本株は根拠のない熱狂 それでも野村は明るかった 斉藤 惇 その1(全4回)

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野村証券副社長、産業再生機構社長、東京証券取引所社長と、証券界の第一線を走り続けた男が見た平成の熱狂と混沌──。

さいとう・あつし●1963年慶応義塾大学卒業、野村証券入社。95年副社長。2003年に産業再生機構社長。07年に東京証券取引所社長。17年から日本野球機構会長。(撮影:尾形文繁)

平成は株式市場の天井で始まった。そこからは知ってのとおり滑り台を滑り下りるが如くだったけれど、当時はそんなことを知る由もなく、それは明るいものだった。

朝起きたら、「今日も頑張るぞ、それいけー」という具合だ。皆ただ今日を生きていた。

野村証券が日本一の利益を上げていた時代だ。当然、私たちを中心に世の中が回っていると思っていた。だから毎日、仕事が終わると若い連中を連れて銀座に繰り出す。完全に自意識過剰だったな。

ただ弁解すると、私は債券を担当していたから、日本株については比較的冷静に見ていたんだ。

当時、シンガポール政府投資公社(GIC)が結構、日本株を買っていた。黄国松(ウンコクソン)という、後にGICの最高投資責任者になる男から、「日本株はもっと行くかな」と聞かれたときに私はこう答えた。「注意しろよ」と。

バブルの背景には野村の株式部門が先導した「ストーリー相場」があった。たとえば再開発計画がある東京臨海地区の土地を持つ企業は、莫大な含み益があるから高値余地がある。そんなストーリーをこしらえて営業をかける。でも私は「利益は増えていない。解散もしていないのになぜ解散価値で測るのか」とよく周囲に言っていた。もっとも、自分の債券部門でも同じようなバブルを経験しているので偉そうなことは言えないが。

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