2万7000円超は説明がつかない水準
十字屋ホールディングス社長 安 陽太郎
日本のバブルは当時の政策当局による舵取りの誤りが一因。米国からの内需拡大要求にも屈せず毅然とした対応を取ったドイツのように振る舞っていれば、あそこまでバブルは膨らまなかったはずだ。
分岐点は1987年10月のブラックマンデーだ。「世界の株式市場は調整局面を迎えるのではないか」と考えた私は慎重姿勢に転じ、特定金銭信託の受け皿になっていた系列の投資顧問会社にも運用資金の量を絞るよう指示した。
ブラックマンデー以降、89年末までは「戻り売り」のスタンス。周囲からは「曲がり屋」と言われていた。
日銀はブラックマンデー後、低金利政策を継続。旧大蔵省は株価下落に伴う上場会社の保有株の評価損計上を防ぐため、時価主義を取得原価主義へ変えた。旧大蔵省はバブル形成の片棒を担いだ格好だ。
その結果、「政策当局が何とかしてくれる」との期待感が醸成され、バブルに踊る人が続出した。だが、日経平均株価で2万7000円を超える水準はどう考えても説明できなかった。外資系証券を中心とする先物との裁定取引などによって押し上げられた側面が強い。
証券会社の店頭に現金を持ち込んで「先物取引をやりたい」と言う個人投資家が現れたのも、ブラックマンデーの後だ。結局、大ケガをしたのは個人。最初は恐る恐る参戦するが、いったん気が大きくなると欲望を抑え切れないのが日本人の性(さが)。「個人が本格出動すると天井を打つ」というバブル相場の経験則どおりの展開で終焉を迎えた。
過剰なファイナンスで暴飲暴食の時代だった
極東証券会長 菊池廣之
立花証券創業者の故・石井久氏の言葉を借りれば、バブル期は「暴飲暴食」の時代。時価発行増資をやりすぎたが、それでも投資家へ簡単に株式がはまってしまう状況を形容した表現だ。「暴飲暴食」なのだから長続きするはずもなく、壊れてしまったのは当然といえる。
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